少林山 新徳寺

縁 起

少林山新徳寺は臨済宗妙心寺派の中本寺格の寺院です。 今から約四百五十年前、元亀三年(1572)正雲紹侃(しょううんしょうかん)和尚により創建されました。山号は少林山、本尊は千手千眼観世音菩薩様です。他に釈迦三尊像や、烏枢沙摩明王などの仏像や、春日井市の文化財を数点所蔵しております。 二世慧文和尚は尾張藩祖源敬公の帰依を受けます。鷹狩の際には休息場として立ち寄られています。 江戸期には名古屋の豪商から今現在の御本尊佛が寄進されます。 その他に農業用ため池としては、満濃池にほぼ匹敵する日本第二位の貯水量を誇っている入鹿池開拓に関係した入鹿六人衆の一人鈴木作右衛門や、蚕種製造額日本一になった河田悦治郎などが檀信徒に名を連ねていました。 また、本寺として10カ寺ほどの末寺を包括しています。かなりの大寺であったようで沢山の弟子や修行僧がいたようです。寺領もかなり広くあったようですが、農地解放により今現在の千坪程度になったと伝わります。 江戸期には寺子屋のようなものが開かれていたようです。特に農繁期など子供達を預かっていたようです。こうした事業は近隣の林昌院が引き継ぎ学校を開校する契機となります。 開山和尚様以降たびたび途切れてはおりますが、近隣の寺院や檀信徒の努力により連綿と受け継がれ拙僧で十七世になります。 寺紋は明智桔梗です。

本尊様と文化財

本尊

本尊は千手千眼観世音菩薩像です

本尊様は、名古屋の豪商伊藤次郎左衛門より寄進された仏様です。本堂内陣の厨子の中に安置されています。厨子の須弥壇に恵心僧都作とあります。

昭和54年、本堂改築の落慶法要の時に御開帳されました。 以来一度も御開帳されておりませんでしたが、開創四百五十年を記念して御開帳致しました。直接触れる事は出来ませんでしたが御手に繋がれた糸、布を通して御縁を得ていただけた方も多数見えたと思います。

他にも涅槃像も寄進されています。

庚申像附厨子

庚申像附厨子
(こうしんぞうつけたりずし)

春日井市指定の文化財

【時 代】 室町時代 【サイズ】 像高25.8cm、厨子高65cm、 奥 行38cm、幅47cm

庚申とは、暦で庚申(かのえさる)の日の夜に体内にいる虫が 抜け出して、天の帝にその人の過失を告げて早死にさせるという中国の道教の信仰です。日本には平安時代に伝わり、庚申の日には徹夜するという風習が貴族の間に広まりました。室町時 代以降は独自の民俗的習俗となり、仏教では帝釈天と青面金剛を、神道では猿田彦を祀って徹夜をする庚申待が広まりました。一般的に庚申像は青面金剛の像ですが、これは頭上にサルを戴く神仏混合の神像です。また、この像を祀る厨子は永禄12年(1569)という銘文をもつ寄棟造の素朴なもので、元は明王堂にあったといわれています。

経机

経机
(きょうづくえ)

春日井市指定の文化財

【時 代】 室町時代 【サイズ】 高28.5cm、奥行31.5cm、 幅 54.5cm

経机とは仏前で読経の際、経典を載せて置く机のことで、4つの脚をもち、黒又は赤の漆塗りで縁を金具で飾るものが一般的です。この経机は黒漆で仕上げられています。

元は小松寺にあったものと伝わっています。

寒山拾得(2幅)

寒山拾得(2幅)
(かんざんじっとく(2ふく))

春日井市指定の文化財

時 代】 室町~江戸時代 【サイズ】 各タテ55.5cm×ヨコ34cm

寒山と拾得は中国唐時代の人で、天台山国清寺で豊干(ぶかん)禅師に仕え世俗から離れた生活を送っており、「寒山は文殊、拾得は普賢の再来」と豊干禅師が語ったと伝えられています。この作品は、京都相国寺にある可翁(かおう)の作品である寒山拾得図を模したと考えられます。比較するとやや柔らかさに欠け、室町時代末から江戸時代にかけての作品と推測されます。

達磨画像

達磨画像
(だるまがぞう)

春日井市指定の文化財

【時 代】 江戸時代 【サイズ】 タテ90.5cm×ヨコ27.4cm

達磨大師(ボディダルマ)は、南インドの出身の僧侶で6世紀 初頭に中国に渡って禅の教えを伝えた人物で、日本でも禅宗の始祖として深い信仰を集めてい ます。この画像の作者白隠慧鶴(はくいんえかく)は江戸時代中期の僧で、臨済宗中興の祖と言 われています。彼の作品の特色は、技巧を超えた精神性の追求にあり、日本各地に禅画や書が 多く残されています。この画像の賛(さん)は、「直指人心、見性成仏」と淡々と書かれています が、一方達磨像にはユーモアが感じられ、興味深い作品となっています。

仏像

仏像も多数所蔵しています

釈迦三尊像、薬師如来、阿弥陀如来、烏枢沙摩明王等が安置されています。特に烏枢沙摩明王は 下の病気に霊験があると言われ、夏の明王祭には沢山の参詣者があったようです。
七福神も勢ぞろいしており、特に本尊脇侍の刀八毘沙門天や八臂弁財天など芸事、勝負事に強い手の多い七福神もおります。

境内諸堂

山門

山門

平成元年に再建されました

鐘楼

鐘楼

鐘楼は戦時下に供出されてしまいましたが、戦後鋳造されました。

前庭

前庭

本堂再建時に作庭されました。蝋梅やしだれ梅、サツキが咲きます。

中庭

中庭

本堂再建時に16代住職と庭師が作庭しました。

観音菩薩合祀墓

観音菩薩合祀墓

どなたでも入れる合祀墓です

本堂

本堂

昭和54年再建されました

本尊

本尊

名古屋の豪商伊藤治郎左衛門祐民が寄付をした千手千眼観音菩薩像です。脇侍に刀八毘沙門天と広目天がみえます。

位牌堂

位牌堂

納骨堂

納骨堂

新徳寺会館

新徳寺会館

歴代住職

開山正雲紹侃禅師
姓氏知らず、如何なる処の人かも知らず。
徳雲澤公首座の元、出家得度。
師は永禄七年蘭畹秀和尚に嗣法、正雲を號す。
元亀元年新徳寺開基徳雲澤公首座百歳で遷化、加えて妙心寺に出られた蘭疇全秀和尚の命により山門鎮護の為元亀三年新徳禅寺を草創、犬山瑞泉寺にも住山する。
元和六年六月十四日法寿八十一にて遷化。
二世荊州慧文禅師
初め玄與、のちに慧文。摂州難波の産まれ。俗姓大野氏。修理の一族なり。
長き戦乱の間機鋒最も峭峻なり。刀槍を放下し衣に換え、師を尋ねる事多年。開祖正雲紹侃老禅師に嗣法する。
二世として住山、四方に徳は広がり尾張藩祖源敬公も入室参問する。尾張藩藩祖源敬公(徳川義直公)は多樂(田楽)の地に鷹狩りに度々来訪。その折にこの新徳寺に立ち寄り休息。
その為か本堂にはウグイス張りの廊下が巡らされ、縁の下にはシジミなどの貝殻が厚さ数センチ敷き詰められる。
当寺は杉の大樹があり、大杉の和尚と呼ばれる。
龍光山瑞雲寺を兼務、開山同様犬山瑞泉寺に住山する
三世一秀玄廣禅師
濃州加治田龍福寺四世、乾南禅師の請いにより勧請となる
四世乾南玄定禅師
生縁姓氏不詳、一秀禅師に嗣法、新徳寺の荒廃を嘆き中興となる。法寿六十八
五世蘭外玄舟禅師
生縁姓氏不詳、山門鐘楼等を建立、法寿八十五
六世團溪玄玉禅師
名古屋京街生縁俗名櫻井、豪商伊藤次郎左衛門の親戚 法寿五十七
七世鷹天紹快禅師
生縁姓氏不詳、法寿八十二
八世碩溪玄碩禅師
篠木牛毛生縁 俗名楫田、法寿五十五
九世愚菴玄魯禅師
春日井原生縁俗名石黒
越中奈呉郷木舩城主石黒越中守重定嫡男長谷川大炊助重行の末裔
東濃崇禅寺桂應慧林禅師に授号
十世黙應玄孚禅師
生縁姓氏不詳、法寿七十八
十一世鳳堂玄模禅師
春日井牛山村生縁 俗名伊東 法寿五十五
十二世太山全初禅師
生縁不詳俗名伊東 法寿七十一
十三世道因恵韞禅師
春日井牛山村生縁 俗名長谷川 法寿五十
十四世徳應宗源禅師
近江生縁 俗名多賀 法寿七十三
十五世
不知
十六世宗潤秀雄禅師
名古屋生縁 俗名熊谷 法寿六十三